その2

いままで”愛人達”は、
もしかして、無理やりジャニや周防と関係しなくても、
結構、自分はなんとかやっていけたのではないか・・と
不安になることが多かったのだ


しかし、この事件で
自分のやってきたことは、やっぱり正しかった・・と、
一安心できたわけである。


ああ、私が毎晩我慢して●●さんに●●掘られてたのって
無駄じゃなかったんだ。だって広末みたいになっちゃうのやだもん



大物の愛人であれば、たいした才能も、人気もなくても、
週刊誌などでちやほやされ、”誰の愛人でもない”ウタダや広末を踏み台にして、
自分が誉められるわけであるから、
周防やジャニのもとを、乳離れしたくなくなるのも当然であろう



結局、この事件は、愛人達にとって、周防から恵まれた、
この上ない精神安定剤だったということであろう。


しかし、バッシングの踏み台にされた者自体
皮肉なことに、こんな騒動など
ほとんど意に介していないだろうと思われる


なにしろ、記事を書いている人間が
本当に広末やウタダを憎んでいるわけではないのだから・・・

広末やウタダ自身の認識も、
自分は、マスコミ連中に、身を呈して飯を食わしている
いわば、乞食に施しを与えている慈善事業者である・・・
てなカンジであろう


なにしろ、マスコミがいざとなったら棄てるのはバーニング側である
いなくなったら困るのは、本当の人気者である。
本当の人気者は、いつまでも利用価値がある
だからこそバッシングができるといえる。商売の種としてはこちらのほうが重要だ


しかし、バッシングしても、褒めちぎっても、
全く食いつかないタレントだったら・・・・


媒体の部数に貢献しないタレント、つまり、誰も関心のないタレント


人気のないタレントは、膨大なコストをかけないと、元を取れる人気者になれない
つまり面倒を見なくてはならないタレント・・というのは、世話が焼ける。
採算にみあわなくなると、あっさり棄てられる

全く金をかけることなく、
自然に人気者でありつづけることのできるタレントのほうが、
面倒をみなくてもいいのだから、つきあうには楽である。
いざとなったらこっちについていったほうが儲かるわけである